レーザーディスク豆知識 ~カラオケの原点①~

カラオケは、元々、芸能界用語でした。録音技術がそれほど発達していない昭和30年代後半まででしょうか。
まだ、テレビに一家に一台普及しておらず(皇太子ご成婚~現上皇ご夫妻や東京オリンピックなどで、購入は増えていましたが)。世は、まだまだラジオ時代だったのです。

歌手がレコードなどの吹込みやラジオ収録をするときは、同じスタジオの中で、フルオーケストラが演奏しながら歌いました。
どちらのタイミングが合わなくても、収録は失敗です。原盤の費用は嵩みます。生本番が主流のラジオは一発勝負。上手だと言われる歌手は、一回で収録ができる人だったと思われます。

人々の認識も、地域の宴会の演目などで、アカペラで流行歌を歌う。もしくは、少人数の楽団を急ごしらえして歌を歌う。もしくは、ギターが弾ける人が盛り場(飲み屋街)で、流行曲を歌い、聞いた人がおひねりを払う。もしくは、10円とかで何曲か歌うという設定もありました。

歌は、うまい人のものを聞くもの。地域ののど自慢の常連になったのならば、一家をあげて上京して歌手になるか。究極の選択ですよね。
現代のように、配信もないし。配信からテレビに出て、そこからCDデビューなんか、誰も想像もしなかったと思います。YouTubeで、自前でプロモ作っちゃうさえ、想像というカテゴリーにも入ってもいませんでした。

40年代になって、テレビも白黒からカラー放送の時代になり、歌番組も増えました。ただ時代がついていかない。テレビにかける予算は少なく、出演者のギャラを安くしても、まかないきれない。
そこで、フルオーケストラが録音した音楽に合わせて、歌う~オーケストラの人件費はかなりなものでした。

これが、オーケストラボックスには誰もいない「空っぽ=カラ」の「オーケストラ=オケ」で、「カラオケ」の登場となるのです。

それでも、カラオケはまだ業界のものでした。

オープンリールのテープに吹き込まれます。再生機器はかなり大きなもので、簡単に持ち運びできません。そこから、8トラックという2Lのフォトフレーム程度の大きさのテープになりました。

それを再生する機械を持って、いわゆる「ドサ回り」と言われる歌手たちが全国行脚しました。それでも、重い。マネージャーがいない女性歌手は持てない。

発明は必要の母。こうしてやっとカセットテープが普及し始まります。

もちろん家庭で再生できる、レコードのカラオケもありました。でも、テレビやラジオで歌手が歌うメロディのものはなかなか発売されず、余計なアレンジが加えられているので、やはり素人は歌えません。

やっぱり、歌好きの素人の手に、流行歌は手に入らないのか。
それは、昭和50年代後半を待たなければなりませんでした。

レーザーディスクの豆知識カラオケの原点②に続く・・・